渡 辺 温(おん)

昭和5年(1030)兵庫県西宮市郊外の阪急戦踏切で、谷崎潤一郎氏から遅延していた原稿を受け取った帰り、
深夜まで神戸で遊んだ渡辺温と長谷川修二の乗りこんだタクシーが貨物列車と衝突した。
後部座席に乗っていた渡辺温(当時、「新青年」編集者)は、近くの病院に運ばれたが脳蓋底骨折で死亡した。
27歳だった。

谷崎氏は、渡辺温が文壇に登場するきっかけを与えた人物でもある。この作品は、

「筋だけを追うと陰惨ともいえる話だが、じめじめとした不快な読後感はない。
 ・・・・どこか人工的で、幻灯をみるような感覚にとらわれるからだろうか」
 
 夭折した弟とは対照的に、百歳まで生きた兄で推理作家の渡辺啓助は、
「映画によるコントの製作、つまり、 ショートショートの映画化こそが彼の念願だったようである」
(「温という弟」より)
と書いているが、「場面転換が鮮やかでシナリオのような味わいもある」
 (同「解説」より)

その一方で、人間には、光と影の二つの領域があって、人は誰でもその境界線を綱渡りのように歩いているのだと思わせる。
そういえば、谷崎潤一郎氏が選者となったある映画筋書懸賞において、
谷崎氏が「どうしても渡辺を1等にする」と言い押し切った彼の作品は、ほかでもない、『影』という題名のシナリオ風短編だった。
 (詳細は
『短編礼賛』大川渉解説をご参照あれ。とても興味をそそられる筋書きです♪)

最後に
「解説」の終りに書かれてある一文を紹介する。

『「夕方になると、夕風の吹いている街路へ、姉は唇と頬とを真っ赤に染めて、
  草花の空籠を風呂敷に包んで、病み衰えた軀を引きずって出かけた」
 可哀相な姉」のこの一節について、急逝した久世光彦氏はこう評している。
 「もし、あらゆる小説の中から、一番美しい文章を一つ選べと言われたら、
 私はほとんどためらいなく、このフレーズを挙げるだろう」 
(『美の死』所収「空の花籠」)』

ちなみに、
新潮社刊増補改訂「新潮日本文学辞典」
(1988年1月15日初版1月20日発行)には、「渡辺温」の個人項目は無かった。
僅かに、「児童文学」の項目の中に、
昭和初期の翻訳本として、
渡辺温訳「通俗伊蘇普(イソップ)物語」を見ることができる。

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番号 作  品  名 収録年月日/備考
01 可哀相な姉(1) (2) (3) (4) 2007/5/27
02